アートから数字の世界、そして独学で和菓子職人へ【海外の仕事・就職】

お話を聞いた人
和菓子職人 荻島美佐恵さん
日本の美術館で学芸員、企業の会計係として勤務後、ワーホリでカナダに渡航。日本での経験をいかして、バンクーバーのアートギャラリーに勤務し、永住権取得後に州立企業に会計職として就職。長年興味を持っていたホリスティック栄養士の資格を取得。趣味で始めた和菓子作りが評判となり、サイドワークで和菓子職人として様々な現地のお店やイベントに参加。和菓子を通して日本文化や栄養学を広めている。

日本ではどんなお仕事を?

もともとは日本の英語専攻で大学へ行って、そこで学芸員になるための勉強をしていたので、最初に就職したのは美術館です。その美術館でスタッフとして働きながら大学院に進学しようと考えていたんです。でも、ちょうどその頃に父が亡くなってしまって。それを機に、正社員としての仕事を探していたら、大学のつながりから不動産開発企業の会計係の職を紹介されて就職することになりました。それまで、アート分野だったのに、いきなり数字の世界に行くことに(笑)

そこを退職して海外へ?

はい。そこで5年働いて一通りの事は覚えたなという時に、転職しようと考えました。転職するにあたって、やっぱりアートの世界に戻りたいという気持ちがあったのですが、日本の美術業界で働くには英語力が重要だなと考えて、一度海外に行こうと決めたんです。
美術館で働いていた頃、海外招致アーティストの滞在制作展をやっていたんですが、やはりアーティスト達の通訳や資料の翻訳など英語を使う仕事が多かったので。

カナダに来てどんな事を?

ワーホリでカナダのバンクーバーにやってきて、現地のアートセンターで、インターンの仕事を見つけました。アジア系のアートを扱う施設なんですが、その頃はオノ・ヨーコ展の企画もあったりして。アジア系だし、日本人としても馴染みもあり、そこで一年働かせてもらいました。
そこから縁があってまたバンクーバーに戻って永住権を取った後に、次のギャラリーの仕事を探していたんですが、なかなか見つからなくて。そんな時に当時のカナダ移民局が、新しく移民した人向けに仕事を紹介するプログラムがあって、私の会計の経験が評価されて今の仕事を紹介してもらいました。
州政府関連企業なので、条件もよく、まずは安定するために当面は、と思って働きはじめました。

それはやはり、自分のやりたい事をするために?

そうですね。安定した仕事をもっていてたら、落ち着いた気持ちで自分のやりたい事を始めやすいと思ったんです。今の会社は、個人の人生の幸せを優先的に考えてくれる企業です。仕事も早く終わろうと思えば4時に終わらせる事ができますし、しっかり休みを取る事もできます。そこからは、自分が情熱を傾けられる事ができます。
日本で会計の仕事を始めたのも、「仕事に困らない」という先輩のアドバイスがあったから始めました。実際にカナダでもその経験が評価されています。アートの世界とは違って、自分とは正反対の分野と思ってはいるんですが、数字を扱うのはパズルみたいで、問題を解決する仕事などは楽しいです。

いまの会社で働いていて、カナダらしいと思うことは?

カナダは移民や先住民も多い国なので、従業員に対して多様性についての教育を熱心にしていますね。性的マイノリティーや人種についてのセミナーも多いです。異文化やコミュニティーへ、寄付やボランティアとして貢献することを会社が従業員に促進しますしね。いい文化だなと思います。
また、会社が従業員に対して、就業時間にきちんと体と心の健康のための情報をシェアして知識をつけてくれたり、心理カウンセリングも無料で受けさせてくれます。日本だと、心の問題を会社でオープンに話すこともできないと思いますが、今の会社は、従業員の体と心の健康を会社にとって優先順位がもっとも高い事項としています。
また上下関係もなくフラット。上司は部下が話しやすくなければ、評価が下がってしまうんですよ。

自分の時間では何を?

私が長年興味をもっていたのが、アートと、もう一つに栄養学があります。小学生の時は、栄養士になりたかったくらい。それが、日本とは違う食文化のカナダに来たきっかけで、また栄養に関する興味がより強くなりました。そこで、いつか、栄養と食に関わる仕事をしたい思い、働きながら、ホリスティック栄養学の資格をとる学校に通いました。ところが、今では趣味だった和菓子の方が本格的になりました(笑)

栄養学の知識を活かし独自のレシピで生み出した荻島さんの和菓子作品

和菓子を作り始めたのは?

きっかけは、やはり海外に来たことですね。日本にいた頃は虎屋さんでアルバイトするくらい、昔から美味しい餡子が使われた和菓子が好きだったんですが、移住したばかりの当時、海外で売られていた和菓子は甘いだけで小豆の味・餡子の味が全然しなくて。これはもう自分で作るしかないな、と思って作り始めました。当初は大福とか、わらび餅とか、主にお餅系の和菓子を自分用に作っていただけなんです。いわゆる主菓子系の和菓子(お茶の席に出す練り切りや金団など)は、茶道を初めてから作り始めるようになりました。

茶道を始めたのも海外に来てから?

そうです。母が習っていた事もあり、ずっと興味はあったんですが、日本にいた頃は毎日が忙しくてなかなか始める機会がなかったんです。
でも、バンクーバーのイベントで今の茶道の師匠と出会い、お茶会に行ったり、お稽古を見学させていただきました。お稽古もドロップインでもフレキシブルに受けることができたので、すぐに弟子入りしました。海外に住んでいたからこそ、柔軟な発想の師匠に出会えて、気軽に茶道を始めることができたのかもしれないです。

和菓子作りの勉強は?

もともと自分が食べたくて、最初はオンラインでみつけたレシピを見ながら、あーでもないこーでもないって一人で作っていたんです。
でもやり始めると、ついつい基礎から本格的に勉強したくなるタイプなので(笑)、やはり体系的に学びたくなったんです。そこでまずは、和菓子職人さんが作った教材で基礎知識と実技を学べる和菓子コーディネーターという日本の資格の通信教育講座で、和菓子の基礎を勉強しました。ただ、実践で習う機会はなかったので、実際のお菓子作りでは常に自分で試行錯誤。なので、日本に帰省した時にはできるだけ沢山学ぼうと、和菓子の講座を受けたり、ご縁のあった和菓子屋さんや和菓子職人さんにお話を聞いたりしています。日本の和菓子作りの書籍もたくさん読み漁りながら、独学で技術を上げるための練習をしつづけていますね。

仕事として声がかかるようになったのは?

たまたまバンクーバーにあるアジア茶を取り扱うお店でお茶をしていた時に、スタッフの方に「大福作れる人知ってる?」って聞かれて。一緒にいた友人が私のことを指差しながら、「She makes THE BEST Mochi!!」って言ってくれたのがきっかけです。空いている時間に作れる範囲でいいということだったので、気軽な気持ちでお仕事としての和菓子作りをするようになりました。それを機会に、インスタグラムで作った和菓子の写真を出すようになったら、見た方達から、和菓子作りのデモンストレーションの依頼をいただいたり、北米フランチャイズのデザート店からメニュー開発のお話をいただいたりと、いろんなお仕事が増えてきました。

バンクーバーのアジア茶専門店でイベントを行う荻島さん

今後の目標は?

海外でも華がある和菓子は、その見た目の美しさから関心を持たれる事が多いです。デザイン性、季節性、ストーリー性、歴史も含め、和菓子はたくさんの魅力を持っています。そうした魅力はもちろんですが、ホリスティック栄養士として持っている自分の知識を活かして、栄養面についても伝えていきたいなと思っています。和菓子はグルテンフリー・ビーガンのものがほとんどなので、最近はそういう観点からの注目度も上がっていると思います。そうした和菓子の魅力をいろんな方に楽しんでもらえるように、私らしい和菓子を研究して作っていき、将来は本業として独立したキャリアにしたいですね。

これから海外へ出る方へ。

何歳なっても、パッションを感じられる事はぜひやった方がいいです。そのためには、何が自分が好きなのかを普段から考えて整理しておくといいと思います。私の場合、日常の小さな選択でも、YesかNoかを考えた時に、パッションを感じるYesを基準に選ぶように心がけています。「コッチが嫌だからアレにする」とか「コレがやりたくないから」という、Noを基準にしたネガティブな選択の仕方でなく、「コレがやりたい」「コレが好き」というポジティブな選択で進んで行くと、本当にやりたい事や、いいチャンスに繋がっていくと思います。私もいま好きな和菓子が仕事になりつつあるのも、その選択のおかげかなと思います。


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