塾講師からアニメーター、日本を出て北米の映像制作へ

お話を聞いた人:
3Dアニメーター 堀脇 健史さん

日本でアニメーターとして実績を積んだ後、カナダへ渡航。バンクーバー、モントリオールの映像制作会社で3Dアニメーターとして、北米の人気TVシリーズや映画などのプロジェクトに携わる。

アニメーターになろうと思ったきっかけは?

高校の卒業制作で作ったアニメーション作品が評価された事です。そこで映像の勉強をするため、地元の鹿児島の専門学校でCG制作を勉強しました。

でもその学校にアニメーション制作が分かる先生はいなかったので、ネットで探して、東京でアニメ制作塾をやっている方に出会って教えてもらうことに。

本当はその方のところに就職したかったんですが、与えられた課題が7割くらいしかできなくて叶わず。関東の方が就職がしやすいと聞いたので、神奈川に出ました。

そこで一度挫折を?

そうです。その後も色々教えてもらっていたのですが、全くアニメーション上手くならず、挫折して一時期引きこもりに。でも、とにかく働かねば!と思って、前から気になっていた塾の講師に応募したんです。面接で、引きこもり生活をしている僕みたいな人間がいかに塾の講師に向いているかを力説したら、採用されました(笑)

そこで2年ほど働かせてもらいました。その仕事が楽しくて、もう塾の講師のままでいいかなって思っていたんですが、塾の社長がある日「けんし君は、将来アニメーターになるんだもんね。」って言われて、ハッとして。

そこからまたアニメ制作の勉強を?

はい、映像制作のクリエイターの人達との飲み会に参加させてもらったりして、作品を見せ始めたら褒めてくれる人がいて、またやる気が出たんです。

それでTwitterで知り合ったアニメーターの方々にアニメーションを教えてもらったり添削してもらったりしていました。厳しい方には「アニメーターは諦めた方がいい。」とまで言われましたが(笑)、それでも作品を作り直して出したら「また出してくるとは思わなかった。だったら見てやる。」って。

その方々のおかげで勉強を続けられたと思います。

そしてアニメーション制作会社へ?

そうやって作った作品をポートフォリオに、東京にある数社のアニメーション制作会社に応募したら、第一志望だった会社の採用が決まったんです。有名な作品を制作している会社なんですが、本当に嬉しかったです。

そこから4社の3Dアニメーションの制作会社で働き、いろんな経験をさせてもらいました。
自分がとても未熟だったこともありますが、僕にとって当時の制作現場は過酷な時もありましたね。でも、メンタル面ではだいぶ鍛えられたんじゃないかと思います。

海外に行こうと思ったのはそれから?

いえ、海外を考えたのはアニメーターになる前からです。専門学校の修学旅行でシンガポールに行った時に、すごく楽だったんです。人の目を気にしなくていいという、日本とは違う自由な空気感が楽で、その時から、自分は海外の方が生きやすいのかなと思ってはいました。

働き出してから、海外にいる日本人のアニメーター仲間からも誘われ、本格的に英語の勉強を始めたら少しづつ話せるようになり、プエルトリコ人の彼女ができたりして、もっと海外が身近でリアルになってきたんです。

そしてカナダへ?

はい、当時はお金もなかったんですが、ワーホリが可能な今のうちに行かないと、死ぬまで後悔しながら海外に行かない気がする、と思って、両親を説得してお金を借りました。

その時に、「もし海外でアニメーターとして働いて楽しくなかったら、アニメーター自体が合ってないからきっぱり辞めて、鹿児島の両親の近くで働く」と約束したんですよ。背水の陣ですね。

そうやって、映像制作が盛んなバンクーバーに来ました。その間も、自分でアニメ制作オンラインスクールで勉強を続けて、語学学校に通いながら仕事探しをしました。

堀脇さんがやってきたカナダのバンクーバーは、北米の中でも映像制作が盛んな都市の一つ。
アメリカの映画やTVドラマの制作を行う会社が数多くある。

バンクーバーでは何を?

語学学校後、TVアニメーション制作会社の仕事が決まったので、ワーホリ期間中はそこで働いていました。ワーホリ後も、就労ビザでそこで働き続ける予定だったんですが、当時、カナダ移民局のビザ審査が滞っていた時期で、3ヶ月の審査予定だったのが、9ヶ月もかかると言われて。ビザが切れて、仕方なく日本へ一時帰国しました。

帰国する前に色々な会社に応募していたのですが、その一つからオファーがあり、カナダのモントリオールにある会社の仕事が決まり無事にビザも出たので、モントリオールへ行く事にしました。

戻ってくるのも大変だったんですよね?

そうなんですよ!カナダに渡航する際に必要書類の申請をしたんですが、1ヶ月待っても返事が出なくて。カナダ大使館に連絡して、審査機関の電話番号をもらって問い合わせしたら、送ったPDFが真っ黒だから審査できなかったって言われて。いや、それ先言ってよって(笑)

でも、カナダってそんな感じなんですよね。だから、自分から動いてどうにかしないと、待っててもダメで。

それからやっとモントリオールに来て、その会社で1年ほど働かせてもらいました。

カナダのモントリオールは、映像・アニメ・ゲーム制作が盛んな都市で、世界中からクリエイターが集まるメッカとも言われる。
フランス文化圏にあるため、公用語はフランス語。カナダ国内でもヨーロッパ文化が色濃い都市のひとつ。

またバンクーバーに戻ったのはなぜ?

こっちの映像制作業界って、動きが激しいんです。レイオフされたり契約更新されない事もしょっちゅう。だからクリエイターも結構あちこち動きます。そんなタイミングでバンクーバーの会社からオファーをもらって。

ところが、そのタイミングでコロナが始まってしまって、北米の映像業界も行き詰まり、オファーが取り消しに。引っ越した後に(笑)

それで無職状態になりました。就労ビザはあったので、カナダ政府からの給付金はもらえて、なんとか生活はできましたが、一年近くも働けない時期が続きました。

そして再びモントリオールへ?

無職状態でもう手元のお金も尽きかけた頃、モントリオールにある会社の人が僕の事を覚えていてくれて、うちに来ないかとオファーをもらい、また戻ってきました。

こっちに来てから、少しずつですが、自分が好きなスタイルの仕事に携われるようになってきているので、今すごく楽しいです。

このままキャリアを築いていって、将来はおもしろそうなプロジェクトを見つけたらどんどん飛び込めるようになっていきたいですね。

数社を渡る経験から海外就活のコツは?

とにかく動きまくる事ですかね。仕事が決まるかどうかは作品も大事ですが、タイミングと運にもかなり左右されます。正直なところ技術力が足りなくても人が足りなければ採用される場合もある。逆に、技術があっても採用されない時はされません。

僕の場合、最初の会社を決めるのが一番大変でした。決まるまでは1日20件くらい応募していました。また、こちらではリファレンスや募集の情報はすごく強い武器なので、業界のクリエイター同士での飲み会には積極的に参加して人脈づくりをしたりしました。

面接も日本とは違いますしね。

本当にそう。最初は日本の時と同じような謙虚な態度で臨んでたんです。でもこっちではそれは通用しなくて。

友達に「できる人になりたければ、できる人のフリをしろ」というFake it till you make it.“という言葉を教えてもらい、僕以外は全員自信満々の態度なのかと気づきました。

そこで試しに、笑顔で堂々とした態度をやってみて、自分がどれだけ価値があるかを伝える事を意識して面接を受けるようにしたら、連絡が来るようになりました。

これから海外で働きたい方へアドバイスを。

日本みたいに、申請した書類が予定通りに届くとか、ちゃんと連絡があるとか、物事がスムーズに進む事を期待しない方がいいという事ですかね(笑)

ビザが進まなかったり、プロジェクトがいきなりなくなったり、オファーがなくなったり、会社内の連携ができなかったりっていうのは、あるあるです。

だから、とにかく自分で動くしかない。動けば道は開けます。僕は諦めずにそうやって動いてきたので、皆さんもきっと行動すれば、自分の道を切り開けると思います。

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